その当日のことを書いている日記が多く存在するが、その多くは「クリシェ」(テンプレ)を書き連ねたもので深みがない。その証拠に腹を切るとか息巻いた人も数日経つとけろっとしてそれなりの普通の精神状態に戻っている。その中で当日とても正直な日記を書いた人が永井荷風。その記述:
8月15日、(中略、この日荷風は勝山の谷崎潤一郎を訪れた後、岡山に帰る。その道中のさまが書かれている)午後二時過岡山の駅に安着す、焼跡の町の水道にて顔を洗ひ汗を拭ひ、休み休み三門の寓舎にかへる、S君夫婦、今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ、恰も好し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持来る、休戦の祝宴を張り皆々酔ふて寝に就きぬ、戦争に負けて祝宴とは何ごとだ、非国民だ!と当局から睨まれないように荷風は「休戦」という言葉を使っている。幸徳秋水の悲惨な最期を目撃した明治人として〔注〕、荷風はあくまでも慎重なのである。
〔注〕幸徳秋水が社会主義者として処刑されたことは荷風に大きな影響を与えた。小生も昔のHPでちょっと触れたことがある:
Letter from Yochomachi: 〔再録〕荷風はどこで幸徳秋水の囚人馬車を目撃したのか?
2 件のコメント:
反対に。
この日のこの日記を読んで「永井荷風」を読みました。読んでいます。
そう思うのは私だけではないと思いたい。
ところで、「恰も良し」なんて書いてますが、当然ヤミの食料品を買いにやらせたもの。一体いくらぼったくられたんだろう? 気になります。「地産地消」は高く付く。
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